top of page

高校の頃、授業中ほぼ寝てるか絵描いてるかの弩級不真面目生徒でした。 ある古典の時間、偶然にも起きていた私。なんとなくノートを取りつつ先生の話を聞いていました。窓から二列目後ろから二番目の席だったと思います。 ふと、先生が「自分には赤い色が違って見える」と言いました。直前の話が飛ぶ程度に唐突でした。林檎の赤、信号の赤、人が見えているのと違って見えるらしいのだけれど、それが本当なのかも分からない。先生は特に深刻そうな様子もなく、古典の解説をするのと同じ調子で笑っていました。 他の生徒が何か聞く間もなくチャイムが鳴って、授業が終わりました。 あの時先生が何を考えていたのか、先生の目に映る世界はどんな風なのか。何年経っても分からないままです。 実取や他の漫画を作るきっかけになった先生の話です。

wassho

 

 離宮の中庭に二人、酷く暗い面持ちの男と、しゃがみ込み泣きじゃくる女がいる。彼等の前では焚火が激しく燃え、火の粉を散らしながら【それ】を灰へと変えている所であった。

「君もね、そろそろ泣き止むといい。涙を流したってどうとなる物でも無いのですよ」

 男は慰めとは程遠い言葉を吐くと、また一つ【それ】を放り火にくべた。どさりと重たい音、そしてゆっくり炎に蝕まれていくのはまだ綴じられて日の浅い紙の束——本だった。決して分厚くは無いが、記された中身が如何に高潔な物であるか男も女も能く理解していた。


「けれどあんまりです」

 顔を覆った女の手は真新しく赤く爛れていた。男がふと目を離した瞬間、火の中から本を救い出そうとしたのである。慌てて止めるも、取り出したその燃える塊を頑なに離そうとはしなかった。痛々しい指の隙間から涙を零して女は続けた。

「公的な記録どころか、日記や手紙まで……」

 命令なのだから仕方がない。帰らぬ人となった主がそうしろと言ったらしいのだから。男は暖炉用の火搔き棒で燃え残りそうな本の表紙を掻き出した。皮と金属の装飾は先に外しておくべきだった。そんな事にも頭が回らないとは、自分も多少なり平静ではないのだろう。


「あのお方がこの国を作られたのに」

 明日からこの離宮には一人で来ようと男は決めた。部下に暇を与える理由は、手の火傷で十分の筈だ。

 極東では死者を燃やし弔うのだそうだ。焼けてなくなる書物を見守っていると、それらがまるで主の亡骸のような気さえしてくる。燃え残る装丁はさしずめ骨だろうかとそこまで考えて悲しみのようなものが遅れてやってきたのを感じる。

夕暮れの空に煙が立ち上る。その先には主の眠る月がある。やがて忘れ去られる貴き人を想いながら、砕けて欠けた墓標を目に焼き付けた。




wassho

elcxeno

 

 聖夜と呼ぶには血生臭い数日間だった。

辺境に現れた天使の群れとそれに乗じて奇襲を掛けてきた輩の討伐……帰還した時にはクリスマスなどとっくに過ぎ去り、人々は新しい年を迎える為の準備に追われるその手を止めて王と英雄の帰りを迎えてくれた。

 湯浴みで旅の汚れを落としたエルクレストとゼノは、迫る新年の気配を遠く喧騒に感じながら、今はゼノの私室で寛いでいる。

「随分と甘いな、これ」

 温かい紅茶に添えられた菓子を口にして、エルクが呻いた。

 木の実や干しブドウがぎっしりと詰まったパンを分厚く砂糖でコーティングした物、それを薄くスライスして食べるのだと、某博士にゼノは教わった。

「シュトレン、というらしい」

 摘み上げた一切れが脆く、半分ほど皿に落下していくのを切なく見送ってゼノは続ける。

「クリスマスに向けて少しずつ食べていくそうだ」

「とっくに過ぎているじゃないか……」

「そう、つまるところ日持ちの為の甘さなのだな」

 人を唸らせるほどの甘味は紅茶の渋味とよく合う。そして、それらが疲れた身体によく効くと、ゼノもエルクも体験済みだった。

 遠征が終わる度にこうして穏やかな時間を共にする。ささやかだが、いつしか恒例となり、二人の楽しみになっていた。


「……そろそろか」

 先程より賑やかさが増した外の様子に、いよいよ新年の訪れを想う。窓の向こうを覗くゼノは、民を案ずる王の顔をしていた。

「行かなくていいのか?」

 エルクは訊ねた。新たな一年の始まりに、王として相応しい場所があるんじゃないかとふと疑問に思ったのだ。眼差し遠く彼は答える。

「私は遠慮するよ」

 その声からは氷の中に取り残された落ち葉みたいに、温もりが失われてしまっていた。

 ほんの一瞬の憂いに気付きはしても、心に絡みついた鎖までは目視することは出来ない。どんな言葉を紡いでも五線譜に届かない。予感だけが先行してがんじがらめになる。ただこうして、わずかな時間と感覚をどちらともなく確かめるように共有するだけ。

 

「来年も、君が隣にいてくれると嬉しい」

 そんなことを思っていたんだ、と申し訳なさそうに笑ってこちらを振り仰いだ時、ゼノはすっかりいつもの様子だった。口の中に解け残る砂糖は冷たく重く、エルクの心臓を悪戯に軋ませた。新年を告げる鐘の音が、二人の耳にそっと届く。




bottom of page