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  • wassho

elcxeno

 


「誕生日、おめでとう」


今日が死に、また新しい今日が産まれたその瞬間に、英雄は王へ祝いの言葉を贈った。昼間多くの臣下から、或いは貴賓から捧げられた筈の同じそれが、胸にじわりと広がるようで。ああ、自分は彼から紡がれた「おめでとう」が欲しかったのだと、夜風を感じながら思う。心の底から溢れる喜びは、自然とゼノの表情を解した。


「ありがとう、エルク」

礼を言うと彼はくしゃっと笑って、それがとても懐かしいようで。懐かしいと同時に切なさも覚える。

「君の誕生日も祝わせて欲しいよ」

かつては彼の誕生日を二人で祝った事もあったのだろう。しかしそれは今や、ぼんやりとした記憶の中で鈍く光る何かでしか無かった。



星のクオリアを授かりし者は【指揮者】に成る。なった。人ではない何かに変質するのだ。

感情を司るその奇跡の結晶が影響したのか否か。星に刻まれていたエルクレストという少年の記録は、指揮者の誕生と共に変わってしまった。まるで、波打ち際に書いた文字がさらわれる様に。

星にとって都合の良い物だけが取り残された。例えば、王であるゼノとの友人であるという関係性。身に付けてきた教養。貝殻みたいに取り残されたそれらを拾い集めてみれば、皮肉な事にすべては頭上で笑う、かの月を討つための物であった。


全部を無くした訳ではないと、エルクは言う。両親や楽しかった思い出、忘れたのではなく、遠くに在ると感じるのだと。思い出そうとする、彼方に記憶は存在している。けれどぼやけて、はっきりとした出来事は思い出せないのだと。

そう言われてゼノも気付いてしまった。ぼんやりと遠く遠い、かつてのエルクレストとの大切だったであろう記憶。


(戦いが終わるその時に、この靄は晴れるのだろうか……)

波の向こうへ流された砂は、果たして元に戻るのか。

「マザーを倒したら、その時に祝ってくれ」

数年分まとめて、とエルクはまた笑った。手を取る彼の体温にゼノは改めて絶望する。英雄にぬくもりはいらないとでも言うのだろうか。それともこれも取り戻せる物の一つか?

「ゼノの手、温かいな」


いつか、同じことを言われた様な気がする。あたたかな手、年を重ねた喜び、過去は遠くに。輪郭を取り戻すため、ゼノは勝利を誓う。

産まれたての今日を月が嘲笑っていた。


 

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elcxeno

 


ああ、こんな事で、

出来るならこんな事で、その唇に触れて欲しくは無かった。



地方遠征の朝、略式だが壮行の儀が執り行われた。

謁見の間に並ぶ遠征隊の中にはエルクがいる。彼が自ら加えてくれと言い出した。これから増えるであろう戦いの為に、今はとにかく実戦経験を増やしたいんだ、と。

玉座から激励を述べたゼノは、少し緊張に強張った友人の前へと歩を進めた。

「英雄不在の国に加護を」

そう言い出したのは誰か。斜め後ろに控える宰相か横に立つ司祭か。

加護——英雄エルクレストは神ではない。しかし、神の使いである魔女を従えるその力は神と同等、そう考える者も少なくはなく、最近では教会を中心にエルクレストを信奉する一派が出来始めていたりもするのだ。

(色々と、絶えぬ物だな……)

ただ頑張れと、伝えたかっただけだった。しかしながら、僅か一瞬で友へかける言葉は鳴りを潜めてしまい、冷たく磨かれた床に映された、見たくもない己の顔からそっと目を逸らすだけ。こんな時、季節の変化に乏しいこの王都ですらも、まるで厳しい冬がやって来たような、そんな、肌のひりつきを感じる。


ゼノは凪いだ気持ちで膝を折り、英雄を見上げた。もはや同じ目線でいる時間はとても少なくなってしまっていた。加護を、誰かが繰り返し言う。エルクレストが躊躇う事なくゼノの頭に手を添え、額へと口付ける。ほんの少し触れるだけの何という事のない仕草で、幾人かの民が安心を得られるのなら、これは儀として有るべき物だ。

ただ、この心が、つまらなく揺れて擦り減るだけの、そんな正しさ。世界が成り立つためのつまらない仕組みのひとつ。


 

  • wassho

elcxeno

 

母は背が高く、父とワルツを踊るのに難儀したと話してくれた。踵の高い靴を脱ぎ、毛足の長い敷物にその白くて柔らかそうな足先を埋めると、私をそっとダンスに誘うのだった。

私は、その足が冬の夜の大理石に触れてしまわないかと、そればかり気になって、気になって。


そして今は私が母の立場にいた。

正確な歳は分からないが、恐らくまだ成長期の、とても堂々とした背筋の友人は、真っ直ぐに私を見つめている。私に教えを請うているのだ。

少し待ってくれ、と私は友人から身を離した。ふと思い立ってショートブーツを脱ぎ、暖炉の横に揃える。なるほど、身長差が縮まって確かに踊りやすいかも知れない。母の気持ちを少しだけ理解出来たことに、口元が緩んだ。


「それは俺を笑っているんじゃないだろうな」

その声音に怒気は感じないから、機嫌を損ねた訳では無いのだろう。


「すまない、昔の事を思い出していた」

そう謝りながら友人の差し出す手に、右手を重ねた。


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