elcxeno
レグナントに今年初めての雪が降った。 日暮れから降り続けるそれは一晩かけて王都を白に染め上げ、夜が明けてもなお止むことなく、けれど風は吹かないものだから、ただひたすらに柔らかな毛布を折り重ねている。 暖炉の薪を組みながら、ゼノは天窓から外の風車の様子を見た。普段、粉を挽く為に働いている四枚の羽は、静かに回転を止めている。この調子では今日一日雪模様だろう。凍ってしまわないように早めに雪かきが必要だな……と、ため息を吐くとマッチを擦り薪に火をつけた。赤々と元気に燃え出した炎に少しだけ気持ちが和らぐ。 本来使用人の仕事なのだが、身の回りのことを自らやると言うのは血の匂いやぶつかり合う武器の音を忘れられて、都合が良い。今日みたいに雪で物音が奪われるようなそんな日には特に。
時計を見ると公務まではかなり時間がある。きっとまだ厨房の火も点いたばかり――そんなことを考えながらゼノは、読みかけの本を数週間ぶりに開いた。
遠征先へ持って行きはしたものの当然読む暇などなくて、ただ道中で咲いていた小さな花が秘めやかに挟まれていた。
『また難しい顔をしてる』
そう言って友は純白の花を差し出した。勇壮さの中に少年の気配が残る、そしてこれから赴くのが戦場などということは微塵も感じさせない程に、朗らかな顔。思わず花を受け取ったこちらの口元も緩む。
『休んでいる時くらい考え事はやめて、旅先の風景でも楽しもうじゃないか』
『旅ではない、征伐だよ』
果たして友の望む表情を作れているのか、ゼノには分からなかった。
『海を見るの、初めてなんだ』
陽の光を思わせる声と共に額を撫でる風からは、遠く潮の香りがした。
(君の記憶は、とても……)
あの日手渡された花を捨てることが出来ず、この本に挟んで持ち帰った。
捨てたって良かった。きっと彼に深い意図はなくて、ゼノが笑って見せてそれで良かったのだ。それなのに、手の中のささやかな喜びを捨て置くことが出来なくて、巡り巡って今、それがとても、ひどくうるさい。
ちりちりと燻る感情に名前を付けられず、ただ億劫。ゼノは段々と苛ついて全く読み進められなかった本を閉じた。
どうせ数時間後には顔を合わせる……それでもこの静かな瞬間を壊されるのは癪だった。賑やかで鮮明で暖かい彼の領域に、それこそ炎が燃え広がるように侵食されるのは――
気がつけば、暖炉の中で先程まで手にしていた本が燃えている。
じわじわと燃え進む紙の束、白い花が真っ先に灰になるのを、ただ見ていた。
窓の外では今も静寂が生まれている。きっと空の上で何かが燃え尽きて、その灰が降り積もっているのだ。神がこの世の音を奪うためにそうしているのかもしれない。
冗談めいた思考の片隅で思う。ああ、このままずっと音の無い国であれば、と。