elcxeno
ああ、こんな事で、
出来るならこんな事で、その唇に触れて欲しくは無かった。
地方遠征の朝、略式だが壮行の儀が執り行われた。
謁見の間に並ぶ遠征隊の中にはエルクがいる。彼が自ら加えてくれと言い出した。これから増えるであろう戦いの為に、今はとにかく実戦経験を増やしたいんだ、と。
玉座から激励を述べたゼノは、少し緊張に強張った友人の前へと歩を進めた。
「英雄不在の国に加護を」
そう言い出したのは誰か。斜め後ろに控える宰相か横に立つ司祭か。
加護——英雄エルクレストは神ではない。しかし、神の使いである魔女を従えるその力は神と同等、そう考える者も少なくはなく、最近では教会を中心にエルクレストを信奉する一派が出来始めていたりもするのだ。
(色々と、絶えぬ物だな……)
ただ頑張れと、伝えたかっただけだった。しかしながら、僅か一瞬で友へかける言葉は鳴りを潜めてしまい、冷たく磨かれた床に映された、見たくもない己の顔からそっと目を逸らすだけ。こんな時、季節の変化に乏しいこの王都ですらも、まるで厳しい冬がやって来たような、そんな、肌のひりつきを感じる。
ゼノは凪いだ気持ちで膝を折り、英雄を見上げた。もはや同じ目線でいる時間はとても少なくなってしまっていた。加護を、誰かが繰り返し言う。エルクレストが躊躇う事なくゼノの頭に手を添え、額へと口付ける。ほんの少し触れるだけの何という事のない仕草で、幾人かの民が安心を得られるのなら、これは儀として有るべき物だ。
ただ、この心が、つまらなく揺れて擦り減るだけの、そんな正しさ。世界が成り立つためのつまらない仕組みのひとつ。
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